「怠惰を求めて勤勉に行き着く」
何かでこの言葉を初めて耳にしたとき、私は意味がまったく分からなかったんですよね。

どういうことなん?!
なんて思って調べてみると
というような、どうやら矛盾した名言らしい。
努力とか、根性とか、そういうなんか気合で乗り越えろ~!みたいなのは、あまり好きではなかった。むしろ、嫌いだったかも。(笑)
できることなら、楽して生きていきたい。
実際、みんなそうなんじゃないかな~?!と思ったり。
でも、この言葉を聞いて、なんだか苦笑いするような納得を得たんですよね。
今回はそんな「怠惰を求めて勤勉に行き着く」について、ちょっとご紹介してみたいと思います。
楽をしたいというのは、怠けることなのか?
この「怠惰を求めて勤勉に行き着く」という言葉の元ネタは麻雀漫画らしいんです。
漫画「哲也ー雀聖と呼ばれた男」に出てくる名言。
主人公・哲の相方である房州という人が、コンビ打ちには欠かせないサイコロを振って好きな目が出せるという練習をしていたところ、行きつけのバーのママが「ばくち打ちは楽して大金を稼ごうって人種だろう?その割にはやけに勤勉じゃない。」と言ったときに房州の返したセリフ「怠惰を求めて勤勉に行き着くか・・・カカカ・・・それもそうだ」と言ったのです。
面倒なことを避け、楽をして稼ぎたいという思いから、いかさまの習得など徹底的な努力を重ねるという、矛盾していながらも本質を突いた逆説的な人生の真理を表す言葉として有名です。
けど、私が知ったのは、実は かまいたち が話題にしてたのを聞いたんです。
努力家とかストイックとか周りから言われるかまいたちの2人が、ほんとうはめっちゃサボりで楽したいと思っていて、そのギャップに折り合いがついた言葉らしい。
- 楽したい
- しんどいの嫌
- 無理したくない
これって、みんなおんなじこと思って生きているん違うんかな?!
そいうのって、怠けているんやろうか?
私は違うと思う。
むしろ、だからこそ
- 先にがんばる
- 回り道しないように考える
- 仕組化する
この気持ちがあったからこそ、どうすればいいかを真剣に考える。
かまいたちもきっとそうなんやと思う。
今、一生懸命やってたらあとがラクになる。
楽したい一心で考え続けてきた結果、気づけば “勤勉” な生き方になっていた、という。
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若い頃の私は「気合い」で動いていた
実際、人は「できれば楽に生きたい」という気持ちは、誰もが持っているんだと思います。
私ももちろんそのうちのひとりで、それでも働くということは自然と身についていて、当たり前のようにがむしゃらに働いていた。
のちのち楽に生きるためにとか、そういうことではなかった。
そして、それは体力があるうちは、「気合い」で何とかなっていたんですよね。
体調の悪いときや、心の均衡がとれないときでも、なんとかどうにかこうにか動いていた。
それはある意味、母が子どもの面倒を見てくれていたりだとか、家族の支えがあったからこそ。
それは、もっと言えば勤勉ということではなかったのではないだろうか?
「怠惰を求めて勤勉に行き着く」
この矛盾した名言に出会った最近ふと、そんなことを思うようになりました。
亡くなった母が今の私の年の頃、私の子ども(孫)の面倒を見てくれていた。幼稚園のお迎え、習い事の送り迎え、ごはんやお風呂の世話まで。
私が仕事で帰宅が遅いときには、すでに寝かしつけまでしてくれていた。
私はただただ仕事をして、動いていたというだけなのかもしれない。
気合で動いていただけの私は、それが母の大きな協力や支えがあってこそのものだったんだと、母が亡くなった今、同じ年になって気づかされました。
楽したいからこそ、考えるようになった
最近、働くということについて考えさせられることがあるんですよね。
どうすれば無理せず続けられるか?
怠惰を求めるわけじゃないんだけれど、そろそろのんびりしながら体を動かす程度にしたい。
そんなことを思うようになりました。
そうなると、準備や段取りに時間をかけるようになってきました。
それはなぜか?!
- 心に余裕を持って取り組みたい
- なすべきことの効率化を求めたい
- トラブルやミスを繰り返したくない
そうなんです。年齢とともにというのか、今までとは違った形で動きたいと思うようになったんです。
それは、後悔したくないからか、同じような失敗を繰り返したくないからか、それとももうそれほど心が動くことが少なくなってきたからなのか。
孫と触れ合うことや、友人とのランチやお茶タイム、自分磨きの学習、そんな何気ないことの楽しさを味わって楽をしていきたいなぁ~と思うようになったんですよね。(笑)
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怠惰を求めた先にあった、今の働き方と生き方
この名言を知って、怠惰を求めた先にというか、これからは、体力や年齢を無視しない選択をしたいと思いました。
「量」より「精度」になってきたということなんです。
これまでの私のライフスタイルであった平日の5日間をびっしりではなく、もっと柔軟性を持ったスタイルを選択したいと思い、今回はいろんな分野に挑戦したいなと思うのです。
今までは事務職が私の天職なんだとばかりに、それにしか興味がないというか、私にできることはこれなんだ!という決めつけ、そんなスタンスでしたね。(笑)
それが、ちょっと目先を変えたら、いろいろと目の前をかすめていくのです。
これから、ちょっと楽しみでもあり、不安でもあるのですが、きっとそれらは心地よいものなんだと思って挑んでみます!
勤勉とは、自分をすり減らすことではなかった
人にはいろいろな働き方やライフスタイルがありますよね。
私の場合は、仕事が一般的な事務職だったので、月曜日から金曜日までしっかり働いて、土曜日・日曜日は家族と過ごしたり、趣味や休息の時間に充てる。
そんな生活でした。
でも、仕事や人間づきあいの中で、ストレスを感じることも多々ありました。
あともうそう長くても20年ぐらいのこれからの人生の中で、そんなものに振り回されるのはごめんだと感じるようになりました。
「勤勉」とは、自分をすり減らしてまで一生懸命に励むことではないのです。
でも、だからといって何もかもを自分の思い通りに、それこそ怠惰に生きていいという訳でもないと思っているので・・・
- 無理をしないために手を抜かない
- 続けるために、ちゃんと考える
そのためにはちゃんとけじめをつけた選択をしないとなぁ~と改めて思います。
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さいごに
ふと耳にした「怠惰を求めて勤勉に行き着く」という言葉。
それは、後で楽をしたいから、今徹底的に努力する
というような、麻雀漫画「哲也ー雀聖と呼ばれた男」から得た名言でした。
最終的には楽して生きたいから、今を一生懸命やるんではなくて、それは自分を大事にする生き方なんじゃないのかなぁ~と私は思います。
-
楽したいと思う気持ちは、否定しなくていい
-
無理しないための努力は、立派な努力
-
それを勤勉と呼ぶなら、私はそれでいい
み~んな、放っといたら怠け者になるし、なりたいもんだと思います。
何もしないで楽して稼げたり、楽して生きていけたらいいですよねぇ~人間同士のしがらみなんかもなく。
でも、それじゃあ楽しみがない!私はそう思います。ほんとかいっ(笑)
そういえば、キリストの教えにも人間を罪へと導くものとして「七つの大罪」というのがありますよね。
私はキリスト教信者ではありませんが、昔に見た「セブン」というブラッド・ピット主演の映画で知りました。
キリスト教の七つの大罪をモチーフにした猟奇殺人事件のサスペンス。
ベッドに縛り付けられた死体。壁には「SLOTH(怠惰)」と大きく書かれていたシーンです。
ほんとうに、グロくて暗~い感じの陰湿な映画だったのを覚えています。
- 暴食(Gluttony)
- 強欲(Greed)
- 怠惰(Sloth)
- 色欲(Lust)
- 傲慢(Pride)
- 嫉妬(Envy)
- 憤怒(Wrath)
人間を地獄へと導く罪とされているそうです。怖いっ!
がしかし、これらは七つの美徳に対応しているというのです。
- 暴食 ⇔ 節制
- 強欲 ⇔ 寛容
- 怠惰 ⇔ 勤勉
- 色欲 ⇔ 純潔
- 傲慢 ⇔ 謙虚
- 嫉妬 ⇔ 人徳
- 憤怒 ⇔ 忍耐
なんか、見ていてハッとさせられますね。
ちなみに、一番重いとされる罪は「傲慢(Pride)」で自身を神よりも高い位置に置き、他者を見下す態度なんだそうです。
今回、この「怠惰を求めて勤勉に行き着く」という相反するような意味あいの名言を知ったことで、改めて無理をしない生き方を考えるようになりました。
あなたはどうですか?!(^^)
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