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母を自宅で介護し、最期を看取りました。
それまで普通に日常を過ごしていたのに、突然母を亡くして茫然自失になった私。

早く母のいる「あの世」へ行きたい。。。
そんなことばかり思っていました。
その反面、「あの世」はあるんだろうか?「この世(現生)」で徳を積めば来世でも幸せになれるんだろうか。
相反する気持ちを抱え、身のやり場のない悲しみで過ごしていたある日、瀬戸内寂聴さんが「あの世とこの世」について書いていたのを読んだんです。
今回は、そんな「あの世とこの世」について、私が立ち止まったあの日に感じたこと、腑に落ちたこと、心が軽くなった瞬間を書いてみました。
スピリチュアルという側面よりも“生き方の話”として、同じような気持ちでいるあなたにもぜひ読んでもらえたらなぁと。
心が空洞になったあの日々
ある日、突然母が倒れて救急車で運ばれた病院で、余命宣告をされました。
青天の霹靂でした。
退院後、母を自宅で介護し、3か月後に最期を看取りました。
母を失ったその日から、私の世界は色がすっかり変わってしまったのです。
母とは同居していたので、家事や子育ても協力してくれていました。
子どもたちも成長した今、これからは私が母に恩返しをする番だと思い、私は何かにつけて母と一緒でした。
買い物に出かけたり、美容院へ行ったり、コンサートに行ったり・・・
時には面倒くさいこともありましたが(笑)こうして私も年を重ねてどんどんできなくなることが増えて、人の助けを必要とするときが来るんだという認識にもなり、こんな楽しい日がいつまでも続くと思っていました。
そんな毎日だったのが、突然、看病と介護に追われ、ほんとうに一変しました。
地域包括支援センターへ相談し、介護認定の申請や紙おむつ支給の手続き、ケアマネージャー探しからヘルパーさんの利用、などなど時間のかかることばかりでした。
けれども、母は余命宣告をされていたので、とにかく早くしなければなりませんでした。
そんな忙しくばたばたしていた看病と介護が、たった3か月で終わってしまったのです。
母を亡くした私は、何も感じられなくなりました。
- 看病と介護を終えた脱力感
- 会えない寂しさと会える気がする矛盾
- もう自分の命も惜しくないと思う気持ち
何をしても届かない、ぽっかり空いたままの心。悲しいのに涙だけが出ていく不思議。
ただただ時間だけが流れていった日々でした。
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寂聴さんの言葉に出会って
以前にも書いたのですが、友人が勧めてくれた瀬戸内寂聴さんと瀬尾まなほさんの対談形式の本『今を生きるあなたへ』を読んだときです。

これを書いたときとはまた違った部分で私は感動したのです。
寂聴さんは法話などでいつもこうおっしゃるそうです。

死んだら、あの世で先に逝って待っている大切な人に会えます。
大切な人に先立たれた人の気持ちを考え、その悲しみが少しでも癒されればいいと思って言っているのですが、ほんとのところは死んだら何もないのではないかと思えてきたそうです。

だって一度死んで、またこの世に戻ってきた人はいないのですから。
一生懸命考えるのだけど、もしかしたら「あの世」があるのではないかと思う日もあるし、やはりないのではないかと思う日もあり、その日によって思うことが違うんだと書いておられます。
魂はあると信じているが、死んだあとにどうなるかなんて誰にもわからない。
あるけどない
面白いですよね。私もここを読んだときに「ハッ!」と心がこの世に引き戻されたような気がしました。
実は私の母は生前、「死んだらすべて終わり。無よ。」とよく言っていたのです。私もどちらかというとそういう考えでした。
寂聴さんも、「死んだら無だ」ということを常々考えていたそうです。
けれども、それでは生きていてもつまらないではありませんか?と。
この一行が、私の心にすっと入ってきたんです。
こんなえらい人でもこうおっしゃっている・・・あの世とかこの世とかではなく、“つながり” として教えてくれたような気がしました。
きっとこういう答えを求めていたのでしょうね、私。
ズバッと正解ではなくて、わからなくていいんだょと誰かに言って欲しかったのかも。
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今を生きるあなたへ (SB新書) [ 瀬戸内寂聴(語り手) ] 価格:990円 |
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あの世は遠い場所じゃないのかもしれない
こうして抜け殻のような、後悔の塊のような日々を過ごしていた私は、ある日気づいたんです。
あの世とこの世は見えないだけで、“となり合わせ” なんじゃないのかな、それほど遠い場所じゃないのかもしれないと。
そんなとき、ほんとうに偶然なんですが、それまで見なかった母の夢を見ました。
亡くなった人が夢に出てこないのは、悲しませたくないからとか言いますよね?!
母の夢を見たとき、「悲しい」というより嬉しかったんです♪母の気配がふっと横を通るように感じたというか・・・。
母が亡くなってからの数年の心の動きが、私の生死観をゆっくりと変えてくれたような気がします。
亡くなった人は、遠くへ行ってもう二度と会えないというのではなく、自分の心の中の深~いところに残っていてその時々に、いろんなことを思い出すのです。
これは宗教という観念ではなく、私の実体験です。
寂聴さんの言葉を借りるなら

誰もわからないことを考えてもしかたないやん!
そして、あの世とこの世を考えることは、死や暗いことではなく私にとって生きる力となるのです。
生きることと死を考えることは、同じ線の上にある
母を突然失った悲しみから考え始めた「あの世」と「この世」について。
境目ってあるのかな?そもそも「あの世」なんてあるのかな?という気持ちで私がス~っと腑に落ちたことを書いてきました。
いかがでしたか?
瀬戸内寂聴さんの秘書を約10年していた瀬尾まなほさんも、寂聴さんが亡くなったあと「大きな喪失感に襲われ、無気力状態になってしまった」とおっしゃっています。
ほんとうに、どう表してよいのかわからないくらい、私にはこの気持ちがわかりすぎて(涙)
私が言うまでもなく、寂聴さんの言葉が心の支えとなり救われた、最も代表的な人ですよね。。。
あの世とこの世について、こういう話題はどうしても宗教っぽくなったり、スピリチュアルっぽく感じられたりします。
そういう側面から書きたかったわけではないので、それを求めて読まれた方には少々物足りないのではないかという不安もあるのですが。
生きることと死を考えることは、同じ線の上にあるのではないでしょうか?
そして私にとってのあの世(死)を考えることは、今を大切に生きることに近いような気がします。
あの世について思い考えるたび、ふと目をやるとこの世での出来事がすこ~し優しく見えてくるのです。
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さいごに
今回調べていて面白いことを発見したので、さいごにご紹介したいと思います。
島根県の松江市東出雲町の黄泉比良坂(よもつひらさか)は、日本神話に登場する「あの世(黄泉の国)」と「この世(現世)」の境目とされる場所と言われています。
日本神話に登場する最初の夫婦神であるイザナギとイザナミ。
イザナギは先立った最愛の妻イザナミを慕い、黄泉比良坂を通って黄泉の国(よみのくに:死後の世界)を訪ねます。
ところが、変わり果てた妻イザナミの姿に驚いたイザナギは、命からがら現世に戻ってきます。
そのときに、イザナギが黄泉の国への入り口をふさいだのが千引の岩(ちびきのいわ)といわれています。
入り口をふさいだと言われるこの「千引(ちびき)の岩」は、千人の力でもやっと動かせるほどの巨大な岩で、「イザナミにはもう会えない」と思ったイザナギの決別の象徴です。
そして、これが日本の「墓石」の起源とも言われています。
ここは日本神話の世界観に触れられる聖地として、今なおたくさんの人が訪れるパワースポットになっています。
また、ここには「天国への手紙」と言って亡くなった人への想いを手紙に託し、投函するポストがあるそうです。ロマンチックですね。
いつか私も手紙を書いて、行ってみたいです。
島根県松江市と言えば、2025年(令和7年)度の後期、NHK「連続テレビ小説」第113作目「ばけばけ」の主要舞台となったところですよね。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、英訳された古事記や神話に触れて日本に興味を持ち、来日しました。そしてこの神話の国、松江で滞在・研究したのです。
とても興味深くて、ドラマを見る目がちょっと変わりそうです♪
小泉八雲記念館と旧居。『ばけばけ』効果ですごい人。ここで妻・小泉セツの力を借りて、民話を集めて、『怪談』に結実。……近くに黄泉比良坂もあるけど、死、幽霊、あの世、みたいな感じのある神話・民話が多い土地だということに感銘を受ける。 pic.twitter.com/c6O2OUOabf
— 藤田直哉@『小島秀夫論』『宮﨑駿論』6月 (@naoya_fujita) December 21, 2025
松江藩歴代藩主の廟所である月照寺を訪れたヘブンさん。
松江の歴史を学んだり、大亀の不思議な伝説を聞いたり。
江藤知事のガイドに、ヘブンさんは興味津々でした。#トミー・バストウ #吉沢亮 #北香那 #佐野史郎#ばけばけ pic.twitter.com/g5gRJlcFdK— 朝ドラ「ばけばけ」公式 放送中 (@asadora_bk_nhk) November 23, 2025
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