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子どものころ、学校では
「先生、さようなら」
とちゃんと挨拶をして帰っていましたよね。
でも大人になると、「さよなら」ってあまり言わなくなった気がします。
そんなことないですか?
かしこまっていると感じるからなのでしょうか?
それとも、なんだか本当に “これで終わり” みたいな気になってしまうからでしょうか?
そう考えてみると

なんでやろ?!
と、いろいろなんか気になっちゃって。
今回はそんな「さよなら」について語源などを調べてみました。
さよならはもともと別れの言葉じゃなかった?!
さよならは別れの言葉じゃなくて~(^O^)♪ なんて歌の文句ではないけれど・・・
もともとは、江戸時代に武士が使っていた
「左様(さよう)ならば」=「そうであるならば」とか「それでは」と、
つなぐ言葉(接続詞)として使われていました。
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語源は左様ならばの省略形
さよならの語源は「左様ならば」という、前に続いている話をいったん区切るための接続詞です。
辞書でも、「さよなら」は「それなら」「それでは」という接続詞であると載っています。
だから、「さよなら」だけでは別れの言葉ではなく、
「左様ならば、これにて失礼」や「左様ならば、これにて御免」
もっと現代的には
「それでは、お元気で」や「それなら、また明日」
などと言ったときに、初めて別れの言葉となるのです。
そして、「さようならば」の「ば」が省略されて「さようなら」となりました。
それが、別れの言葉として定着したのです。
もう少し古風になると、「さらば」も「然らば(それならば それでは)」と接続詞に由来する、
「さよなら」と同じ意味なのです。
大人になるとあまり使わなくなった「さよなら」
子どもの頃はちゃんと「さようなら」とか「さよなら」と別れのときには挨拶してたような気がするのに、大人になったら使わなくなったように思いませんか?
私は大阪なので「ほな!」とか「また!」とか
そういう感じで別れの挨拶をします。(笑)
「さよなら」は、なんか少し切ない感じがするんですよね。
接続詞としての「左様ならば」の後に続く言葉があって、その言葉自体が肝心な別れの挨拶なんだと知ったら、その言葉を受け入れる覚悟が込められた気軽な挨拶ではないというか・・・
だから淋しさや切なさを感じるんですかね。
心のどこかで、「さよなら」を本当の別れの言葉として感じているのかもしれません。
私は、「さよなら」という気持ちで別れの挨拶をするときには
また会いたい、近いうちに会える
・・・と信じていたいから。
もし、しばらく会えないとしても。
だからこそ、できればあまり使いたくない。
また会える前提の言葉を選びたくなるから
「ほな!」とか「また!」と言ってしまうのでしょう♪
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日本語を学ぶということ
「さよなら」のように文化や歴史的背景を元に進化したりして使われている、そう考えると由来を知ると日本語ってほんとうに面白いですよね。
面白い反面、あいまいな表現があったりで、結構難しいなぁ~と感じることがよくあります。
この歳になって余計にそう感じることがあったりなんかします。(苦笑)
日本語は世界でも第4位の人気の学習言語だそうです。ビックリ!
学校だけでなくオンラインやアプリなども含めると、学習者だけで1,000万人を超えるとも言われています。
ちなみに、英語が話せる日本人はわずか10%未満だそうです。
日本の総人口から計算すると、1,200万人より少ないということになります。
この数字がどうとかいうよりも、私は、日本人でも難しいと感じる日本語を学ぶ外国人は、ほんと素晴らしいな~と感心します。
私たち日本人も、正しい日本語を使いたいものですね。
そのためには、その言葉の由来を知ることもたまには必要なのかな?!
さいごに
私たちは普段、誰かと別れるときにいろいろな言葉を使います。
「じゃあね」「またね」「バイバイ」「ほな!」(笑)
でも、改めて考えると「さよなら」ってあまり気軽には使わない言葉かもしれません。
今回は、そんな「さよなら」の語源についてご紹介しました。
実はもともと別れの言葉ではなく
「さようならば(然様ならば)」
という言葉が縮まったもので、意味は「そういうことならば」や「それならば」という接続の言葉でした。
「それならばこれで失礼しますね」というような流れで使われていたのです。
それが時代とともに短くなり、「さようなら」「さよなら」になりました。
つまりはもともと
「それでは、これで」
という意味の言葉だったんですね。
実は私が今回、「さよなら」という言葉が気になったのには、こんな記事を目にしたからです。

まず、「さよなら」という4文字を米国人作家が最も美しい言葉と評した、というタイトルに心を引っ張られました。
そして、「さよなら」という言葉を知りたくなったのです。
1927年、大西洋無着陸横断飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグの妻、アン・リンドバーグもまた世界中を旅してたくさんの出会いと別れを経験しました。
そして、その中で、「さよなら」という言葉が最も心に響いたそうです。
『翼よ、北に』(みすず書房・2002年)という本にこう書いています。
「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。
これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない。
〈Auf Wiedersehen〉や〈Au revoir〉や〈Till we meet again〉のように、別れの痛みを再会の希望によって紛らわそうという試みを「サヨナラ」はしない。
目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げる〈Farewell〉のように、別離の苦い味わいを避けてもいない。
……けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。
それは事実をあるがままに受け入れている。
人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。
ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしないGood-byeであり、心を込めて握る暖かさなのだ――「サヨナラ」は。
AnneMorrowLindbergh(著)、中村妙子(訳)『翼よ、北に』(みすず書房・2002年)
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