いただきますの意味について!仏教的な背景から紐解いてみる

日常

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食事をするとき、きちんと手を合わせて「いただきます」と言います。

いただきます

いただきます

これは小さい頃に教えられ、当たり前のようにしていました。けれど、大人になるにつれ、面倒や照れなどから

「いただきます。」

なんて口に出して言う程度で。いえ、もしかしたら日々の忙しさに取り紛れ言っていない時もあるかも知れません。心の中で唱えてはいますが。

人と食事をしたとき、手を合わせて「いただきます」なんて目の前でされると、きちんとしない自分を恥ずかしく思うと同時に、とても気持ちのいいものだと感じたのです。

そこで、今回はこの「いただきます」の意味がとても気になったので、見てみることにしました。

すると、実は仏教的な意味合いもあったということが分かったのです。

ちょっとしたことなのですが、改めて知ると感動のこの「いただきます」を私と一緒に再確認してみませんか。

「いただきます」に込められた深い意味

 

若い頃に海外旅行をしたとき、食事の前に「いただきます。」なんて手を合わせたら、外国人に英語ではなんて言うのかと聞かれたことがありました。未熟な私は

 

「Let’s eat」(さあ、食べましょう)

と答えました。間違ってはいないようなのですが・・・。これは「いただきます」の代用のようなフレーズなんですね。

「いただきます」は一般的には、感謝の気持ちを表すための挨拶のような言葉 だと言われています。

今回調べてみてわかったのですが、どうやら、もう少し仏教的な深い意味があるようなのです。

「いただきます」の前には「命を」という言葉が隠されている

これを英語で言うと、「I take your life.」(私は命を奪う)となるのです。

私たちは、動物や野菜など、もっと言えば空気やその中にある細菌やウイルスに至るまで、さまざまな命の犠牲なくしては生きていけません。このことから、「申し訳ない」という懺悔の気持ちで頭を下げ、そこから感謝の気持ちが生まれてくるのです。

これには、仏教用語の 「凡夫」 (ぼんぷ)というものが背景にあるのだそうです。

凡夫(ぼんぷ) : 煩悩(ぼんのう)にとらわれて迷いから抜け出られない衆生(しゅじょう)。

引用元:コトバンク

私たちは、煩悩(迷いや欲)を持って生活しています。

他を傷つけたくないと思っていても、知らないうちに傷つけていたり、結果的に傷つけてしまっていたり、とても不安定な生き物です。

これが人間の罪悪性であり、「凡夫」の姿ということなのです。

いのちを奪ってしまい、申し訳ありません。
有難く頂戴いたします。

作ってくれた人や食事を与えてくれた人への感謝と、命に対しての尊敬と懺悔の気持ちが、「いただきます」には込められているのです。

こう考えれば、きちんと手を合わせ頭を下げて、食事の前には「いただきます」と口にしなければいけないと改めて思いますね。

そこで、次に気になったのが、食事が終わったときの言葉「ごちそうさま」です。ではこれについても、少し見てみましょう。
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食後のあいさつ「ごちそうさまでした」の語源と意味

「ごちそうさま」を漢字で書くと、「御馳走様」 となります。「馳」「走」“走る” を意味します。

昔の日本は、今では考えられないくらい食事でもてなすということは、大変なことでした。

自分たちで収穫した農作物や、遠くの村や町まで駆け巡って食材を調達していました。その上、調理方法も豊富ではありませんでした。

それほどの苦労をして食事でもてなしたことから、「御馳走」 と呼ばれるようになったのです。その御馳走に「様」までつけて、もてなしてくれた人や、食材への感謝の気持ちを込めて、食べ終わったあとに言われたのです。

「ごちそうさまでした」

改めて、美しい言葉ですね。日本語は本当に難しいですが、こういうことを感じるにつけ、日本人に生まれてよかったと思います。

さいごに

食事をするときに、手を合わせて言う「いただきます」。

最近、照れや面倒から言いそびれていたところ、きちんと手を合わせて「いただきます」という人を見て、改めてその意味が気になり、食事のあとのあいさつ「ごちそうさまでした」とあわせてご紹介しました。

いかがでしたか。

「いただきます」の前には「命を」という、実は仏教的な意味あいの言葉が隠されていました。

さまざまな命の犠牲への懺悔と、与えられた食事への感謝が込められた言葉「いただきます」。

そして、食べ終わったあとのあいさつ、「ごちそうさまでした」も、もてなすため駆け回って食事を用意した様子をあらわした言葉。

日本語の敬語を作る接頭語「御」と、丁寧語を作る「様」 を付けて、いかに敬意を払っているかというのがわかりますね。

いただきますも、ごちそうさまでしたも、どちらも英語での直訳がないというのも、日本人の美徳をあらわしているような気がします。

今の時代は、いつどこへ行ってもどんなものでも割と簡単に手に入ってしまいます。食べ物への 感謝 という気持ちがどんどん薄れていきますね。

お箸の持ち方や、食べ方など作法も大事ですが、この感謝していただくというのが一番の食事のマナーではないかという気持ちになりました。

私自身も、きちんと手を合わせて食事をする姿を子供たちにも見せて、教えていきたいな、なんて改めて思いました。
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コメント

  1. なつよん より:

    (_ _ )/ハンセイ

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