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もう最終回を迎え、終わってしまったのですが毎週楽しみに観ていた綾瀬はるかさん主演のドラマ「今日は会社休みます」。
そこで使われていた「他力本願」が誤用だと東本願寺の僧侶から指摘されたというのです。
え゛?!本当の意味ってなんだっけ?
とても気になりました。
それはたまたま通勤電車で、週刊誌の中吊り広告の見出しを見て知ったのですが・・・。
自分でも知らずに誤用していたら?!なんて思うと急に恥ずかしい気持ちにもなって。
もういい年なんだし、誤用を正すというよりもきちんと知っておく必要があるのでは?なんて思っちゃいました。そんな私と同じように思ったかた、一緒に見てみませんか?!
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「他力本願」の本当の意味
仏教の言葉での他力本願とは・・・
- 「他力」…阿弥陀如来の広大無辺な力
- 「本願」…浄土に往生せしめようという阿弥陀如来の根本の願い
という意味なのです。
そして浄土真宗の宗祖親鸞聖人はそれをこう説いています。
人間をはじめすべての生物が
仏様の広く大きな願いの中で生かされている
自分では何もせずに他人の力に頼って事をなすこと
だいたいの人はこう解釈しているのではないでしょうか?私もそうでした。どちらかというと、マイナスなイメージですよね。しかし・・・これは本当の意味ではないのです。
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他力本願 の誤用
じゃあなぜ、誤用されるようになったのでしょう?
そもそも綾瀬はるかさんのドラマではどのように使われていたのでしょう。
恋愛に臆病で自分に自信が持てないこじらせ女子(綾瀬はるか)の花笑。
同じ会社でアルバイトとして働く9歳年下の男性に告白され、デートをします。
でも食事の会計が気になり、被害妄想を繰り返します。
彼からのメールを待ったりと、地味で素朴だった日常が少しずつ彼に振り回されてくる?ような不安を覚えながら・・・
日ごろの行いを良くしておけばいつか自分にも果報が訪れると思って待っている。
というようなストーリーの回でした。
この『他力本願』というタイトルに『果報は寝て待つ』というような使われ方が良くなかったようなのです。
他力本願には、他人の力に期待して自分の望みが達成するよう願うという意味はないからなのです。
でも、私もこの歳まで恥ずかしながら本当の意味を知らずにそう思っていました。
※実際、辞書にも本来の仏教的意味とは違って使われているとして記述されています。
今やいろいろな宗派の宗教を信仰している人がいます。
本来の意味を説いた浄土真宗を信仰していなかったり、阿弥陀様に救済された体験がないというのが時代の変化によって誤用されていったのだと思います。
ちょっと堅苦しい言い方になってしまいましたが。
こうして何かのきっかけで本当の意味を知ったうえで、誤用であっても、一般的にそう使われ浸透しているのは事実ですしね。
目くじら立てることでもないのかな?って私は思います。でも、知らないより知ってよかったと思っています♪
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ほかにもあるよ、言葉の誤用
こういう言葉の誤用は、ほかにもたくさんあります。例えば、私が思い出すところを少しご紹介しますと・・・
「罪と知りながら行う」のではなく、「自らの行いが正しいと信じて行う」。
「能力が足りない」のではなく、「能力に対して役目が軽い」。
「汚名返上」「名誉挽回」と混同して誤用されやすいですね。
「的を射る」の誤り。
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さいごに
毎週楽しみに観ていたテレビドラマから、ふと気になった「他力本願」の本当の意味。
という意味で、人のふんどしで相撲を取るというような、他人の力をあてにしているというような意味ではなかったのです。
自分の思い込みでなんの疑いもなく使っていると、指摘されあとで知って恥ずかしい思いをすることってありますね。
それに、 だいたいは誤用で通っていることが多いのです。
正しい意味で使うと、かえって正しく使っている自分が間違っていると誤解されかねません。
でも、本来の意味を知っているのと知らないのとでは全く違います。
私もできるだけ、ふだん自分の使っている言葉に疑問を持って、知る習慣をつけたいと思いました。
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