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- 若い頃の吉永小百合画像年表
- 1959年(14歳)の吉永小百合
- 1960年(15歳)の吉永小百合
- 1961年(16歳)の吉永小百合
- 1962年(17歳)の吉永小百合
- 1963年(18歳)の吉永小百合
- 1964年(19歳)の吉永小百合
- 1965年(20歳)の吉永小百合
- 1966年(21歳)の吉永小百合
- 1967年(22歳)の吉永小百合
- 1968年(23歳)の吉永小百合
- 1969年(24歳)の吉永小百合
- 1970年(25歳)の吉永小百合
- 1971年(26歳)の吉永小百合
- 1972年(27歳)の吉永小百合
- 1973年(28歳)の吉永小百合
- 1974年(29歳)の吉永小百合
- 1975年(30歳)の吉永小百合
- 1976年(31歳)の吉永小百合
- 1977年(32歳)の吉永小百合
- 1978年(33歳)の吉永小百合
- 1979年(34歳)の吉永小百合
- 1980年(35歳)の吉永小百合
- 吉永小百合の全盛期はいつだったのか?
- 吉永小百合・プロフィール
若い頃の吉永小百合画像年表
少し年上の知り合いのおじさんは、吉永小百合さんの大ファンです。
酔っぱらうと、それはもぅいかに若い頃の吉永小百合が可愛くて、可憐な美少女だったかを語ります。(笑)
吉永小百合とともに青春時代を過ごしたという団塊の世代ファンをサユリストと呼ぶ社会現象にまでなりました。
そういえば、私がファンの宇崎竜童さんもサユリストだそうで、こんな記事を見つけました。
多くの人を虜にしてきた大女優吉永小百合さんの若い頃がどれほど可愛くて可憐な美少女だったか、とても知りたくなりました。
そこで今回、吉永小百合さんの若い頃 “10代~30代” を中心に、出演映画の写真とともに改めて振り返ってみたいと思います♪
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1959年(14歳)の吉永小百合
1959年(昭和34年)松竹映画「朝を呼ぶ口笛」で映画デビューしました。
そもそもは、1957年(昭和32年)小学6年生の時、ラジオ東京(現在のTBSラジオ)の連続ラジオドラマ「赤胴鈴之助」ですでにデビューしていました。
吉永小百合さんは、若い頃からの可憐な美少女ぶりや穏やかな雰囲気から、何不自由なく育ったお嬢様のように見えますが、実は父親の事業が失敗し、家に借金取りが押し掛けるというような生活を経験したのだとか。
私、新聞配達をする!
家計を助けるためにそう言ったら、父親は反対しました。
すると、当時TBSに親戚の人がいて、オーディションがあるから受けてみないかと言われ、応募したのがきっかけだったそうです。
これがまさしく「女優・吉永小百合」の誕生ですね!
1960年(15歳)の吉永小百合
1960年代に10代だった女性がこんなに美しいなんて想像を超えていました…
美容整形なんて考えられないこの時代にこれだけ整った顔立ちはまさに奇跡と言っても過言ではありませんよね!
目の形、鼻筋、フェイスラインどれも現代の整形美女女優たちと同レベルの水準です。
- ぼろし探偵地底人襲来(新東宝)
- 拳銃無頼帖 電光石火の男(日活)
- 霧笛が俺を呼んでいる(日活)
- 拳銃無頼帖 不敵に笑う男(日活)
- 疾風小僧(日活)
- すべてが狂ってる(日活)
- ガラスの中の少女(日活)
- 美しき抵抗(日活)
そして、さらに驚かされたのは、1年間で8本もの作品に出演しているということです。
現在では信じられないペースですよね。
「ガラスの中の少女」は、のちに1988年後藤久美子と吉田栄作でリメイクされました。
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1961年(16歳)の吉永小百合
写真は少ないですが、大人っぽさが半端じゃないですよね。
私は今まで生きてきて、こんな16歳に出会ったことがないです。
- 大出世物語(日活)
- 天使が俺を追い駆ける(日活)
- 花と娘と白い道(日活)
- ろくでなし稼業(日活)
- 警察日記 ブタ箱は満員(日活)
- 早射ち野郎(日活)
- 有難や節 あゝ有難や有難や(日活)
- 青い牙の素顔(日活)
- 闇に流れる口笛(日活)
- この若さある限り(日活)
- 俺は死なないぜ(日活)
- 闘いつづける男(日活)
- 太陽は狂ってる(日活)
- あいつと私(日活)
- 草を刈る娘(日活)
- 黒い傷あとのブルース(日活)
16歳のときは16作品に出演しました。
すごい数です。
前年8本の作品に出演したことで人気に火が付いたのでしょう。
日活の新星スター女優になっていきます。
娯楽が少ない時代でしょうから、これだけ綺麗な16歳の登場に世の中は夢中になったことは想像に難くありませんよね。
すでに60年の年月が経過していますが、もし16歳の吉永小百合さんが現代にタイムスリップしてきても、女優として活躍できるのは間違いないと思います。
1962年(17歳)の吉永小百合
この年、「キューポラのある街」で第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞しました。
17歳での受賞は史上最年少記録です!(※2012年時点)この時代にこの記録は本当にすごいですよね。
- さようならの季節(日活)
- 上を向いて歩こう(日活)
- キューポラのある街(日活)
- 激流い生きる男(日活)
- 赤い蕾と白い花(日活)
- 霧の夜の男(日活)
- 星の瞳を持つ男(日活)
- あすの花嫁(日活)
- 若い人(日活)
- ひとりぼっちの二人だが(日活)
「若い人」は、1977年に桜田淳子と小野寺昭でリメイクされ、吉永小百合さんは特別出演されました。
吉永小百合の若い頃の人気映画をリメイクしてアイドルに演じさせる・・・これはやはり吉永小百合効果を狙ったものに違いないと言えるでしょう。
「赤い蕾と白い花」の主題歌『寒い朝』(1962年4月20日リリース)は、吉永小百合さんのレコードデビュー作となりました。
役者が主題歌を歌う、そしてそれが大ヒット!当時は画期的だったようですね。
また、1962年9月20日にリリースされた橋幸夫とのデュエット曲「いつでも夢を」が第4回日本レコード大賞を受賞しました。
吉永小百合さん!若い頃から可愛いというだけでなく、透明感のある歌声!ほんとにすごい才能ですね~17歳ですよ?!
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1963年(18歳)の吉永小百合
吉永小百合はめっちゃ可愛いけど、子供っぽ過ぎるなんて声もあるようですが。
いえいえどうして!このふっくらした頬のハリがまた可愛らしくて初々しいです。
- 青い山脈(日活)
- いつでも夢を(日活)
- 泥だらけの純情(日活)
- 雨の中に消えて(日活)
- 俺の背中に陽が当る(日活)
- 伊豆の踊子(日活)
- 若い東京の屋根の下(日活)
- 美しい暦(日活)
- 波浮の港(日活)
- 真白き富士の峯(日活)
- 光る海(日活)
「伊豆の踊子」は1974年に、「泥だけの純情」は1977年に、山口百恵と三浦友和のゴールデンコンビによってリメイクされました。
そういえば、この二人(山口百恵・三浦友和)も吉永小百合さんに負けず劣らず若い頃から人気で、大活躍でしたよね!
1964年(19歳)の吉永小百合
こんな妹が、こんな彼女が、こんな娘がいたら・・・と思わずにはいられないくらい、本当に可愛いですよね!
- こんにちわ20才(日活)
- こんにちわ赤ちゃん(日活)
- 浅草の灯 踊子物語(日活)
- 潮騒(日活)
- 風と樹と空と(日活)
- 帰郷(日活)
- 愛と死をみつめて(日活)
- うず潮(日活)
- 若草物語(日活)
「潮騒」は、1971年に小野里みどり&朝比奈逸人、1975年に山口百恵&三浦友和、1985年に堀ちえみ&鶴見辰吾でリメイクされました。
これでもかとリメイク作品を投入?!若い頃の吉永小百合効果にあやかるのもスゴイですよね!
吉永小百合さんはこの年、初めてブロマイドの年間売上実績、女性部門1位になりました!
ブロマイドって知ってますか?!(笑)今の若い人達は知らないのかもしれませんねぇ~。
↓こんな感じのポートレート写真です♡
1965年(20歳)の吉永小百合
20歳の吉永小百合さんに、女性の美しさの概念を垣間見たような気がします。
- 悲しき別れの歌(日活)
- 未成年 続・キューポラのある街(日活)
- 青春のお通り(日活)
- 明日は咲こう花咲こう(日活)
- 父と娘の歌(日活)
- 四つの恋の物語(日活)
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1966年(21歳)の吉永小百合
10代の若い頃から活躍している吉永小百合さん。20歳を過ぎると、出演作品に合わせてどんどん変化していく女優の風格を見せつけてくれます。
- 大空に乾杯(日活)
- 青春のお通り 愛して泣いて突っ走れ(日活)
- 風車のある街(日活)
- 私、間違っているかしら(日活)
- 愛と死の記録(日活)
- 白鳥(日活)
20歳を過ぎた頃から、年間6本程度の出演作となりました。
これまでが凄かったので、“6本程度”と言いましたが、それでも年間に6本はスゴイです。
「大空に乾杯」では、スチュワーデス(現在はCAと呼ぶ)の役をしたり、「風車のある町」では長期オランダロケを敢行したりと、多忙を極めていたと思います。
1967年(22歳)の吉永小百合
これまでは、男性のアクション路線で売っていた「日活」ですが、それもすっかりマンネリ化していたところ・・・この可愛い吉永小百合によって純愛青春路線が爆発的にヒットしました。
- 青春の海(日活)
- 恋のハイウェイ(日活)
- 君が青春のとき(日活)
- 斜陽のおもかげ(日活)
- 君は恋人(日活)
当時「日活三人娘」と呼ばれ売れっ子になった 吉永小百合・松原智恵子・和泉雅子のブロマイドが店頭からなくなるほどの売れゆきだったそうですょ。
1968年(23歳)の吉永小百合
この頃はまた、吉永小百合・浅丘ルリ子・芦川いづみ・中原早苗とで「パールライン」と呼ばれていました。
- 花の恋人たち(日活)
- 青春の風(日活)
- だれの椅子?(日活)
- あゝひめゆりの塔(日活)
「あゝひめゆりの塔」ですが、私は1995年公開の「ひめゆりの塔」(沢口靖子主演)を見たことがあります。同じ内容のリメイク作品かどうかはわかりませんが、ひめゆり学徒隊を題材とした作品であることには違いありません。
そこで、こんなツイートを見つけました。
「あゝひめゆりの塔」吉永小百合×浜田光夫:第二次世界大戦。沖縄戦における〈ひめゆり学徒隊〉惨劇から八十年近くにもなろうとしているウクライナ戦争。またしても人類は同じ過ちを繰り返す。二時間程度の映画であったが猛烈な疲労感を覚えた。いま世界で起きている事が他国の話しなどと誰が言えよう。 pic.twitter.com/h2SQszXK1j
— Colette (@Colette89677107) May 14, 2022
本当に・・・同じ過ちを繰り返してほしくないですね。(涙)
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1969年(24歳)の吉永小百合
この年もまた、ブロマイドの年間売上実績で女性部門1位となりました!
1964年(19歳)で初1位となった頃に比べて、より一層女性として艶っぽくなったというか…また違ったイメージでブロマイドが売れたというのがわかりますよね。
- 花ひらく娘たち(日活)
- 嵐の勇者たち(日活)
1969年(昭和44年)、この年に「あゝ野麦峠」の映画化を吉永小百合主演(政井みね役)で計画されていたそうですが、結局は実現しませんでした。
吉永小百合さんは、野麦峠に何度か訪れたことがあり「政井みねの碑」を寄贈しています。
「あゝ野麦峠」はこの10年後(1979年)に大竹しのぶ主演で映画化されました。
うん、見に行きましたよ私・・・感動しました。( ;∀;)
1970年(25歳)の吉永小百合
吉永小百合さん、実はお酒が大好きなんだそうです。^^
「酒」という雑誌では、年末に恒例の女流酒豪番付を発表していて、吉永小百合さんは “小結” に選ばれたそうです♪
この可愛くて美しい風貌から、お酒好きというギャップがまたいいですね!
- 幕末(中村プロ)
- 風の慕情(松竹大船)
- 青春大全集 愛とは何か(松竹大船)
この頃から、日活以外の映画出演が増えました。
年に2本以上の日活映画に出演すれば、他社の作品に出演ができる、という条件で契約し直したのだそうです。
1971年(26歳)の吉永小百合
- 戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河(日活)
この「戦争と人間」は、1970年(昭和45年)から1973年(昭和48年)にかけて公開された戦争大河超大作です。
- 戦争と人間 第一部・運命の序曲
- 戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河
- 戦争と人間 第三部・完結編
日本映画としては、「人間の條件」の9時間31分についでの長さを誇る、9時間23分という長編。
若い頃はその可愛さから純愛・青春系の作品への出演が多かった吉永小百合さんも、20代後半ともなると、このような複雑な人間群像ドラマへ出演されるまでになりました。
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1972年(27歳)の吉永小百合
27歳とは言え、とても大人っぽい雰囲気ながらも可愛さと美しさは変わらずです。
- 男はつらいよ 柴又慕情(松竹大船)
「男はつらいよ」シリーズ第9作目でマドンナとして吉永小百合さんが初出演しました。
10代の若い頃から可愛くて、映画界で活躍の吉永小百合さんも、いよいよ寅さんのマドンナ役がきたのですね~。
寅さんがとらやの階段を、吉永小百合のヒット曲「いつでも夢を」を歌いながら上がる…というにくい演出があったそうです♪^^
実はこの当時、吉永小百合さんは過労から声が出なくなってしまったそうです。そんなときに出演依頼が舞い込んだ「男はつらいよ 柴又慕情」
役者なんて、さだめのないもの。ふらっと出会った作品の中で自己表現していくものなんだ
と渥美清さんに言われ出演を決めたそうです。深いですねぇ。
1973年(28歳)の吉永小百合
若い頃から変わらず絶大な人気があった吉永小百合さんですが、30歳を目前にして、清純派の娘役から脱却できないことを実感されていたようです。
- 戦争と人間 完結編(日活)(3部作の完結!)
この年、フジテレビのディレクターだった岡田太郎氏(のちに共同テレビ社長、会長、取締役相談役)と結婚しました。
京王プラザホテルで披露宴を行いましたが、カメラマンの多さが世紀の結婚だったことを物語っていますよね~♡
ちなみに、お相手の岡田太郎さんは吉永小百合さんの15歳も年上なんだそうです。
1974年(29歳)の吉永小百合
日本の高度経済と吉永小百合さんの純愛・青春映画は急成長。しかし、この頃から大胆な濡れ場演技も辞さない若手女優が多く出てきたんですよね。
そんな時、吉永小百合さんは結婚を機にしばらく仕事を休まれました。
- 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(松竹大船)
この「男はつらいよ」シリーズでは「柴又慕情」のときと同じ “歌子” という役で出演しています。
3度目の出演計画もあったそうですが、
同じ役を何度もやると、マンネリになるんじゃないかしら・・・
スケジュールの都合もあり実現しませんでした。
1996年に主役の渥美清さんが死去したことによりシリーズが終了し
もう一度、出演するべきでした。最後ということが分かっていたらどんな形でも出たかった。後悔しています。
と、思い出を語ったそうです。残念ですね。。。
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1975年(30歳)の吉永小百合
若い頃から可憐で可愛い吉永小百合さんも、娘役から大人の女性役へのスイッチがスムーズにいかない葛藤を抱えていたのでしょうか…。
- 青春の門(東宝)
大恩人と語る「キューポラのある街」の監督・浦山桐郎と再度タッグを組んだ「青春の門」。
主人公・伊吹信介の継母・伊吹タエを体当たりで演じ、この映画が「清純なお嬢さん」のイメージを脱するきっかけとなりました。
サユリストならずとも、これからがますます女優として楽しみですよね♪
1976年(31歳)の吉永小百合
若い頃から活躍の吉永小百合さんも31歳。
純愛・青春映画の清純派女優からの脱皮、映画女優としての風格のようなものも備わってきました。
本当に、若い頃から年代ごとに追っていますが、どの年代も衰えることなく綺麗です。
- 新どぶ川学級(日活)
この年、NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」にも出演、見とれるほどの美しさだったそうです。
ネットで拾った写真もあげてみる。これほどまで哀しく気高く美しい死は、ドラマ史上でも稀だろう。#大河ドラマで印象に残っている死 #吉永小百合 #風と雲と虹と #貴子姫 pic.twitter.com/xFyBVbHaeZ
— エフ=宝泉薫 (@fuji507) May 29, 2019
また、吉永小百合さんには夫の岡田太郎氏から教わった趣味の一つに将棋があり、棋士の大内延介氏と交流がありました。
この年、「将棋会館」の建設にあたり多額の寄付をされたそうです。
1977年(32歳)の吉永小百合
桃谷順天館 『明色アストリンゼン』のCMを1976年後半からされています。
美しさの秘訣は化粧品というより…この美しさを保つのが化粧品だと思わせる吉永小百合さんの魅力!お綺麗です♡
- 若い人(東宝)※特別出演
吉永小百合さん、1967年17歳の若い頃にご自身が主役をしていた役を、桜田淳子主演でリメイクされました。
吉永小百合さんは間崎の友人”鮎沢由紀”役として特別出演しました。
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1978年(33歳)の吉永小百合
若い頃から清純派イメージで売ってきた吉永小百合さんですが、出演作品のチョイスも少しずつ変わってきました。
- 皇帝のいない八月(松竹)
「皇帝のいない八月」は、陰謀・クーデター・黒幕などとこれまでとは違った内容の映画でした。
しかし、吉永小百合さんのイメージとかけ離れた「裏切り」や「淫乱」のような役だけは決してやらなかったと言います。吉永小百合さんの映画に対する愛なのでしょうね、そんな気がします。
1979年(34歳)の吉永小百合
女優さんやタレントさんで「声」が好きだというのもありますよね。
歌舞伎界では、「一声、二顔、三姿」というのがあって、外見よりも声を重視されていました。
吉永小百合さんは、その声すらもとても若々しくて健康的なイメージがありますよね。だからなのか?!この年は、声優としても活躍されました。
- 龍の子太郎(東映動画)※アニメ声の出演(特別出演)
- 衝動殺人 息子よ(松竹)
「龍の子太郎」は、松谷みよ子原作のアニメーション映画で、吉永小百合さんは声優として特別出演をされました。
母の優しくも凛とした語り口調はジ…ンと来る。まさか、この声があの吉永小百合だったとは…。
と、なおさら感動したというファンの声も。
またこのアニメの監督は、「キューポラのある街」や「青春の門」の浦山桐郎という、吉永小百合さんとは若い頃から縁があり、吉永小百合さん自身も大恩人と語る監督さんです。
1980年(35歳)の吉永小百合
30代も後半にさしかかり、吉永小百合さんの和装は格別のような気がします。
それはなぜか?!やはり、落ち着いた気品のようなものが吉永小百合さんには感じられるからでしょう。
- 動乱(東映)
若い頃から清純で可愛い吉永小百合さんは、高倉健との初共演の「動乱」という映画が自身の俳優としての転機となったと言っています。
マネジャーを置かないで、全ての仕事を、自分で内容を聞いて判断することに決めたんです。
これほどの大女優さんが、この期に及んでというか、とても大きな決断とさらなる意欲を感じられますよね。すごいです。
吉永小百合の全盛期はいつだったのか?
こうして振り返ってみると、吉永小百合さんの若い頃はまさに国宝級の美女であったことに疑いの余地はありません。
その中でも全盛期と呼べる1年はいつだったのか?
または、全盛期と呼べる活躍期間はいつ頃だったのか?
この点について考察してみたいと思います。
私が考える女優吉永小百合の全盛期は16歳から18歳までだと思っています。
16歳で16本、17歳で10本、18歳で11本、年間の映画出演本数を見ても歴然としています。
この2.3年が最も輝いた時期であり、最も日本国民が吉永小百合に夢中になった時代だったのではないかと思うわけです。
突然新星の如く現れた15歳の美少女の出現に全国民が釘付けになり、熱狂したからこそ、16歳、17歳という時期に出演作品を増やして人気を不動のものにしました。
知名度が浸透する前だからこそ、人々に与えた印象は強烈だったのではないかと思います。
もちろん、20代になり大人っぽさに磨きがかかり、女性として完成の域に達した30代の美しさは目を見張るものがあります。
しかし、世間に与えたインパクトや熱狂的なサユリストと呼ばれるファンを大量に生み出した10代後半こそが女優吉永小百合の全盛期っと言っても過言ではないかと思っています。
吉永小百合・プロフィール
吉永小百合さんのとても可愛い若い頃から、30代までの映画の出演作をご紹介しました。
- 名 前:吉永小百合(本名:岡田小百合)
- 生年月日: 1945年 3月 13日
- 身長: 155cm
- 出身地:東京都渋谷区
- カテゴリ: 女優 歌手 ナレーター
- デビュー:小学6年生のときラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビュー
14歳で「朝を呼ぶ口笛」で映画デビュー - 学 歴:早稲田大学第二文学部卒業
- 家族: 夫(岡田太郎)
- 血液型: O型
- 干支(えと): 酉(とり)
- 星座: うお座
- 趣味/特技: 将棋 ラグビー観戦 散歩 旅行 乗馬 水泳 スキー
若い頃から可愛い清純派女優として活躍されてきた吉永小百合さん。
1960年代から10年間で約70本以上の映画に出演されています。これはスゴイことです!
また、作曲家・吉田正の門下生で、たくさんのレコードを出しています。
12歳ごろは、あの日本を代表する有名なひばり児童合唱団に在籍し個人レッスンを受けていました。
実は、このひばり児童合唱団の創設者である皆川和子さんの紹介で松竹映画のデビューが決まったんだそうです。
そして、世間を賑わし、社会現象とまでなった「サユリスト」は芸能界や著名人にも多いんだとか。
衰えを知らないその美貌はどこから来るのでしょうか?!
きっと吉永小百合さんの姿勢や生き方に表れているのだと私は思います。
そんな素敵な年のとり方をしたいと、足元にも及ばないけれど、これからも吉永小百合さんを追い駆け見守り、見習いたいと思います!
【こちらの記事もぜひ参考に♪】
【画像13枚】吉永小百合の夫岡田太郎はフジテレビ元敏腕ディレクターで現在病気療養中?死亡説も?
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コメント
吉永小百合さんは心も美人に相応しい日本を代表する映画女優です。
頭も顔も心も素晴らしいですね。
70年近くトップ女優に位置し驕ること無く謙虚に
可愛い笑顔で万人から好かれ尊敬されてるのが理解できます。
ミスタープロ野球長嶋茂雄と共に小百合さんと
同じ時代に生きられた事に感謝します。🌹
いつまでもお元気でご活躍され続けることを祈ります。‼️
笹崎幸雄様
当ブログにご訪問いただきありがとうございます!
ほんとうに…吉永小百合さんに長嶋茂雄さん。
昭和を代表するスターと同じ時代に生き、活躍を見られたことはありがたいことですよね。
今はそういう人がいないような気がします。
代わりのいない唯一無二の存在ですね。
ステキなコメントをありがとうございます!^^